□聖痕(筒井康隆 2013)
東北大震災の爪痕未だ癒えない2012年から13年にかけて新聞に連載された奇譚(そういって良いと思う)。幼少時に禍々しい事件に会った美麗の主人公が、調理人として大成するまでを描いた教養小説(Bildungsroman)。
内容の奇妙さもさることながら、特筆すべきは、今は和歌以外では使う人もいなくなった「細波の」などの枕詞や、「食耽(しょくたん)」や「ののめく」などの古語が振り仮名付き、脚注付きで、これでもかと散りばめられたどこか三島由紀夫を思わす擬古文調の文体である。
脚注の数はページをめくるにつれ増殖して、小説の後半になると一頁に十以上の注が並ぶので驚いてしまう。滅びつつつある古式ゆかしき言語を留めおこうとする老小説家の意地かとも思うが、中には「乱舞(らっぷ)」やら「怖者なう(恐ろしい者)。『なう』は同意を求める気持ち。」など何やら胡乱(うろん)な言葉も含まれており、これも作者一流のパロディーかと怪しむ気持ちも生じる。虚実の境目を己が教養で見極めて楽しめと言うことらしい、まさに教養小説だ。
冒頭、幼少の主人公が変質者に金玉を切り取られるというショッキングな場面で始まるのだが、紙上で子供が読んだらトラウマになりそうだ。朝日新聞も大胆である。
ネットで読んだ筒井康隆自らの解説では、加齢で性欲が失せたのでこういう小説を書いたとあった。主人公の不能は作者の文学的実験の巻き添えだったのだ。
なお、新聞連載中は筒井伸輔の挿画が添えられ、その一枚は単行本の表紙を飾っているが、早世した愛息との幸せな親子共作となっている。
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